私は昨年度まで高校に勤めていました。
かなり以前に、生徒の卒業文集のために「希望」という題の詩を書いたことがあります。
希 望
孤独な夕暮れは
未来から吹いてくる
かすかな風の音に耳を澄ませ
それは
街角の喧騒にかき消されつつ
ときおり
アンデスの笛のように聞こえてくる
寒い夜明けには
凍てついた土を踏みしめ
遠く
灰色の空を見上げよ
やがて
宇宙の彼方から来た
純白の雪も舞うだろう・・・・
人は「希望」がなかったら生きていくことができません。いくらかの望みをいつも明日につないで、そのようにして今日一日を生き延びるのだと思います。
◇「希」まれなことをこいねがう
漢和辞典を調べてみると、「希望」の「希」という字は、「爻(コウ=糸を交差させる)」という字と「巾(キン=ぬの)」という字を組み合わせた字で、「刺繍をする」という意味だそうです。その織り目(糸と糸のすき間)が少ないところから「稀(キ)=まれ、少ない」の意味を表すようになり、また、「キ」という音から「冀(キ)=こいねがう」、「祈(キ)=いのる」の意味も同時に表すようになったようです。
つまり、「希」は、まれ(稀)でわずかなことをこいねが(冀)い、いのるという意味を表しています。
◇「望」背のびして遠くを見る
「望」はどうでしょうか。
「望」の本来の字は「壬(背伸びした人)」の上に「臣(目を見張った形)」が乗った文字「臣壬(ボウ)」で、「人が背伸びをし、目を見張って遠くを見ている」形を表現した象形文字です。この字に「月」の字が加わって「もちづき(満月)」という意味になりました。さらに「臣」の代わりに「亡」が用いられるようになって「望」となったようです。ですから「望」は「もちづき(満月)が第一の意味で、あわせて本字(臣+壬)の意味である「目を見張って遠くをのぞむ」意を表しているのです。
したがって「希望」とは、「背伸びして目を見張り、遠くをのぞんで、まれなことをこいねがう」というのがもともとの意味だということになります。
◇悠久の調べ―「アンデスの笛の音」
上に紹介した詩では「希望」を「アンデスの笛の音」と「宇宙からくる純白の雪」にたとえて表現してみました。
「アンデスの笛の音」のイメージは、南米アンデス山脈のふもとに広がる地方の民族音楽(フォルクローレ)で用いられる楽器「ケーナ」(葦あるいは竹製の縦笛)から得たものです。アンデスの高原にに吹き渡る風のような素朴で澄んだ音がします。
一九七〇年ごろにアメリカの歌手サイモンとガーファンクルが歌ってヒットした「コンドルは飛んでいく」という曲をご存知の方も多いと思います。この曲の原曲はアンデス地方のフォルクローレで、メロディー部分は必ずケーナで演奏されていますので、それを思い浮かべていただければ、「アンデスの笛」の音の感じが伝わると思います。
インカ帝国滅亡の悲しい歴史が伝わるインディオの地、真っ白な万年雪をいただくアンデス山脈、そのふもとに広がるペルーやボリビアの高地、吹き抜ける風に乗ってかすかに聞こえてくるケーナの調べ――そこには、時を越えて生き続けるインディオの民の悠久の営みが感じられます。
目の前の現実だけにとらわれるのでなく、時を越えはるか遠くを望む――私にとってはこれが、「希望」という言葉の持つ一つのイメージです。
日常生活には、思うようにならないことや、嫌なこと、辛いこと、いろんなことが日々さざ波のように、また大波のようにやって来ます。そんな時、心の耳をを澄ましてケーナの笛の音を聞いていると、ふとどこからか「希望」が湧いてくるような気がするのです。
◇「宇宙から来る純白の雪」―一筋の光
灰色の空の向こう、「宇宙の彼方」から来る「純白の雪」のイメージは、『注文の多い料理店』などの童話で知られる宮沢賢治の詩から得たものです。
賢治は最愛の妹トシを病気で失います。トシ二十四歳の冬でした。賢治は大きな衝撃を受けますが、しばらくしてから、その気持ちを美しい幾編かの詩に昇華させました。その一つが『永訣の朝』です。
「けふのうちに/とほくへいってしまふ/わたくしのいもうとよ/みぞれがふって/ おもてはへんにあかるいのだ/(あめゆじゅとてちてけんじゃ)」で始まるこの詩には、妹の死に寄せる兄の痛切な思いが、妹が苦しみであえぐ喉をうるおすために「とってきて」と頼んだ「あめゆき(みぞれ)」を、取ろうとして表に飛び出す兄の行動を通して描かれています。
兄が外に飛び出すと、「乱れた空」からは真っ白なみぞれが降ってきています。兄はその空を見上げてはっと気がつきます。「妹がみぞれを取ってきてくれと頼んだのは、自分のためでなく、兄を一生明るくするためだったのではないか」と。「あの大いなる宇宙からやってきた真っ白な雪」は、妹から兄へのプレゼントだったのではないか、と。そこで兄は決意します。これを妹だけでなく、みんなにプレゼントしよう、みんなに幸せになってもらおう、と。そして自分はみんなの幸せのために「まっすぐにすすんでいこう」と。
ここで、「純白の雪」は一筋の光明であり、「救い」であり、「希望」です。
◇オレンジの夜明け
かの大いなる宇宙は、この地球を、太陽をそして生き物を、命を生み出した宇宙です。人間は、産業革命以来の活動によって地球の自然環境を汚染し、破壊し、温暖化の問題はぎりぎりのところまで来ています。
人間は自然を汚染、破壊しますが、決してそれを復元することはできません。汚染された川が再びきれいになるには、川自身の浄化能力によるほかありません。
しかし、私たちが行いを改め、自然の汚染、破壊を止めたならば、自然=宇宙はじわじわとその浄化能力を発揮してくれるにちがいないのです。それが私にとって、もう一つの「希望」のイメージです。
あてにならない未来などあてにせず
たぐりよせたぬくもりに
身を寄せ合いながら
凍(い)てついた荒野(こうや)に歩み出(い)だす者たちよ
明日(あした)は決して明るくはないが
愛が見えないほど暗くはない
―― NO FATE
どこまでも旅を続ける者たちには
きっと見えるだろう
黒々とした水平線に
やがて訪れる
オレンジの夜明け! (19年度卒業生のために)
(平成20年3月記)