「勝ち組」「負け組み」という言葉が流行語のように使われ、「市場原理」「競争原理」が幸福を実現する最もよい方法であるかのように言われています。
強い力を得て勝者となれば、それ相当の見返りを手にするのは当然であり、力がなく負ければ、それは負けた者の「自己責任」である、という、ちょっと聞けば正しいように思えて反論しにくい理屈がまかり通っているようです。
一言で言ってしまうと、「弱肉強食」でどこが悪い!ということでしょう。
◇シッダールタの悩み
シッダールタとはお釈迦さんが出家するまでの名前です。
仏伝に次のようなエピソードが伝えられています。
お釈迦さんがまだ子どものころのある時、五穀豊穣を願う鍬入れ式が行われていました。鍬で掘り出された土の中から小さな虫が出てきました。するとどこからともなく現れた小鳥が飛んできて,虫をくわえて飛んでいってしまいました。次に、今度は猛禽(ワシ・タカなど)が現れて小鳥をくわえて飛んでいきました。この光景を見たシッダールタは,弱肉強食の現実を目の当たりに見、いたたまれなくなって一本の木の下で坐禅をしはじめました。
やがて、悟りを開いて仏陀となったお釈迦さんは、自然界で食物連鎖の頂点に立つ最強の生き物人間への第一の戒めとして「不殺生戒」を説きました。
◇「よだか」の苦しみ
詩「雨ニモマケズ」や、童話「銀河鉄道の夜」などで知られる宮沢賢治に、「よだかの星」という作品があります。いつも強くて横暴なタカにいじめられて、つらい思いをしているいるよだかは、自分自身がさらに小さく弱い虫たちを食べなくてはならないことに耐えられず、ある夜どこまでも空に上っていって、とうとう夜空の星になってしまうというお話です。
よだかは思います。
「ああ、かぶとむしや、たくさんの羽虫が、毎晩僕に殺される。そしてそのただ一つの僕がこんどは鷹に殺される。それがこんなにつらいのだ。ああ、つらい、つらい。僕はもう虫をたべないで飢えて死のう。いやその前にもう鷹が僕を殺すだろう。いや、その前に、僕は遠くの遠くの空の向うに行ってしまおう。」
◇どんぐりのせいくらべ
宮沢賢治はまた無意味な競争を嫌いました。「どんぐりと山猫」の中では、「とがっているのがえらい」「いや、まるいのがえらい」「ちがう、大きなのがえらい」などと大争いしているどんぐり達に向かって、主人公の一郎が「このなかでいちばんばかで、めちゃくちゃで、まるでなっていないようなのが、いちばんえらい」と言って、あらそいをしずめてしまいます。
ルールを定めて一定の範囲内だけで競争し、「不参加の自由」もあるスポーツなどと違って社会での競争は、多くの場合弱者・敗者を踏みつけ、多くの不幸を生み出します。
◇人口爆発で地球は重くなる?
先日松井孝則さんの本をよんでいたら、次のような話がのっていました。
あるテレビの番組で人口の増加が話題になった時、あるタレントが「これだけ人口が増えてくると、人間の体重が加わり続け、地球の重さが昔に比べずいぶん増えたに違いない」と真顔で言ったというのです。
私たち人間は地球外からきた宇宙人ではないので、私たちの体は地球の物質でできており、文字通り地球の一部だということに気がついていないようです。
密教では、「六大無碍(むげ)にして常に瑜伽(ゆが)なり」と説きます。すべての生き物は(そして自然も)みな大宇宙(密教では大日如来)から命をいただいた兄弟姉妹だということです。
◇地球の「独り占め」って有り?
水も鉄も木も土も石油も、すべて資源は地球の一部です。太古の地球は宇宙の物質が集まってできたようですが、最近は小さな隕石以外、外部からやって来たものはなく、地球の資源は有限です。「富」はそれらの資源の変形であり、「お金」はいわばその限られた資源をやりとりするための「引換券」でしょう。もともと地球のものであって、誰かの私有物ではないのです。誰かが独り占めすれば、他の者の取り分はなくなってしまいます。
「おびただしい富有り、黄金あり、食物ある人が、ただ一人おいしいものを食べるならば、これは破滅への門である。」とお釈迦さんはおっしゃいました。
限りある地球の資源の変形である「富」が一部の人間だけに偏ると、もともと平等に生まれたはずの命に不平等が降りかかります。
だからこそ、その偏った富を再配分して、社会的格差を是正するために、人間社会ではみんなが知恵をしぼって「累進税制」とか、「福祉」制度などが作られたのでしょう。幸運にも富を得た者が貧苦に苦しむ者に対し、その富を分配する、つまり、「累進税制」や「福祉制度」は、偏った富を再配分するためのしくみです。仏教では昔から、他に施しを与えることを大切な徳とみなし、「布施」を説いています。
「自由競争」がいいのだといって、「富」をだれかが好き勝手に独占することを奨励し、一方で「富」を再配分するための税制や福祉の機能を縮小すればどうなるか。その先には「破滅への門」があると、お釈迦さんは警告しています。
「人の心は金で買える」と言った人がいましたが、自分の心がその金に買われてしまっていることには気付かなかったようです。(06年「宝満寺だより」より)