「仏の顔も三度」ー仏さまだって怒るんですー
(*ただし、「仏の顔…」とは、「やさしい人」でも無礼なことが度重なれば怒ってしまう、という意味で、「仏さ」まのことを言っているわけではありませんが…)
世の中に「怒」ったことのない人がいるでしょうか。いわゆる「うそ」をついたことのない人がいないのと同様、「怒」ったことのない人は一人もいないと思います。
でも、「瞋恚(しんに=怒り)」は衆生の善心を害する「三毒(貪・瞋・痴、とん・じん・ち)」の一つであり、「十善戒」の中には「不瞋恚」が説かれています。 江戸時代の慈雲尊者の『人となる道』という本には、「我を忘れるような怒りは身を滅ぼす」というような意味のことが書いてあります。

宝満寺大師堂上もみじ(秋)
◇「怒る」ことは良くないこと?
僧侶が法話等で「十善戒」を取り上げるときも、「どんな時も決して愚痴や不満を抱かず、腹を立てず、常に感謝の心を持って暮らしましょう。」と説くことが多いように思います。
最近ある集まりで聞いた法話も、結論は「日本は平和でいっぱい自由があって、食べ物もたくさんあって、恵まれています。今、文句言ってる場合ではないんです。だのに日本人は、あっちが悪い、こっちが悪いと悪口や愚痴ばっかり言います。愚痴はやめましょう。相手が悪いというのもやめましょう。それよりはみんなで、ありがとう、と感謝の心を持ちましょう。」という言葉でした。「愚痴」「悪口」という言葉は「瞋恚」を念頭において述べられたもので、その言葉を素直に受け取れば、「今の政治や社会、あるいは周囲の人に不満を持ったり、怒ったりするのは良くない。どんなひどい目に会ってもありがとう、とただ感謝して生きましょう、それが真の幸せにつながるのですよ。」と言っていることになります。
◇ でも「憤怒尊」は怒っている
一方、仏教、中でも密教においては、不動明王や十二神将などの「忿怒尊」が信仰上も重要な位置を占めています。「忿怒」とは「怒り」です。怒りの形相凄まじい「明王」や「天」が信仰の対象となっているのです。「忿怒」は三毒の一つ「瞋」と同じではないのでしょうか。なぜ怒っている「忿怒尊」が、「不瞋恚(ふしんに=怒ってはいけない)」を説く仏教の中で信仰の対象となるのか、私には長い間疑問でした。
子供のころ『ゲンと不動明王』という映画を観ました。うろ覚えですが、弱虫の少年ゲンが不動明王に出会って次第に勇気をもらっていく、というような内容でした。怒っている不動明王が、なぜかゲンを勇気づけることができるのです。

不動明王(快慶作)
◇ 最近あちこちに「怒り」が
また、最近、「税金の無駄遣いを怒りをもって告発する」という趣旨のあるテレビ番組を見ていますと、その番組のスタジオの背景にとてつもなく大きな不動明王のセットが作られていました。国民はみんな不動明王のように怒っています、というテレビなりの表現です。さらに、ある討論番組では「国民の怒りベストテン」というようなコーナーが毎週設けられています。その番組の中では、世の不正に青筋立てて怒り、物怖じせずに発言するタレントが人気を博しているのです。
前述の法話を聞いたある檀家の方が私に、「立場上あのようにおっしゃっているのだとは思いますが、私は煩悩が抜けませんので、坊さんになるのだけはとてもムリだと思いました。」との感想を述べておられました。
◇「怒り」はむしろ必要
右のようなことをすべて、「瞋恚(怒り)」に毒された俗世間の迷いごととして片づけられるでしょうか。
心理学によると、人の「怒り」は、むしろ自己を守るために必要な感情の一つで、「怒り」全部が悪い訳ではありません。
たとえば、誰か他人から自分がひどく傷つけられようとしている時、緊急に自己を守るためには「怒り」が役に立ちます。いじめを受けた時など、その不当さへの「怒り」があって初めてそれに立ち向かうエネルギーを生み出すことができます。それがないと最悪の場合生きていけないことだってあるのです。
ただ、個人的な恨みつらみや一時的な激情が行き過ぎると自他を傷つける結果になり、害が多いため、「良くない」とされるのです。また、「正当」な怒りであっても表出の仕方を誤ると相手を殺傷することがあります。

宝満寺大師堂上もみじ(冬)
◇「不動明王の怒り」は「公憤」「義憤」
私的な怨念や憎悪からくる「怒り」は単なる「復讐」に陥りやすく、その意味で「不瞋恚戒」に従い、外に向かっては自制すべきでしょう。しかし、「公憤」「義憤」は公正な社会実現のためにはむしろ必要ではないでしょうか。社会的な不正義に対して、外に向かって「怒り」を表明することで、法的な制裁を発動したり、社会制度の改善をするなどのことが出来ます。それがそのまま、住みやすい社会の実現へとつながっていきます。
不動明王などの「忿怒尊」は、正当な「怒り」の在り方を示しておられます。それは、悪意を持って仏法を害する者、皆が救われようとしているのを邪魔する者、命を傷つけ迫害しようとする者を、仏と衆生になり代わって決然と退ける、「私怨」「私憤」などとは正反対の「公憤」「義憤」であり、いわば「聖なる忿怒」ではないでしょうか。
◇「憤怒(ふんぬ)」の人、細井和喜蔵
話は飛びますが、大正時代の紡織女工の悲惨な労働実態を克明に描き、世に訴えた名著『女工哀史』を書いたのは、丹後の与謝野町(旧加悦町)出身の細井和喜蔵(ほそいわきぞう)という人です。和喜蔵は物心つかないうちに父と生き別れ、六歳の時に母を亡くし、小学校五年でまた祖母を亡くして天涯孤独となりました。それ以後、小学校を中退して、単身大阪、東京に出、紡績工場の機械工として自活しながら独学で作家となり、念願の『女工哀史』をやっとのことで出版(大正十四年)した一ヵ月後に、二十八歳の若さでこの世を去りました。
自分自身、社会の最底辺で貧困に苦しみながら、あまりにもひどい紡織女工の現状を、自分の命と引き換えに告発した彼の一生を、ある人は、「憤怒のごとき人生(人生そのものが怒りだ)」と評しました。
確かに、自伝的な小説の中で、彼は、さげすまれしいたげられた奉公先の機屋(はたや)に対して、激しい怒りの言葉を吐いています。しかし、和喜蔵は、都会の工場で働くうち、働く仲間や新しい時代の息吹に触れ、考え方の上でも人間的にも大きく成長し、個人的な恨みつらみはだんだん消え、女工をはじめとする仲間みんなを幸福にしたいという夢を抱くようになります。
和喜蔵が少年のころ抱いた私的な「怒り」は、やがて万人の幸福を願う「公憤」、「義憤」へと変わります。いわば不動明王のような「憤怒」の人となったのです。だから今だに、悲惨な労働実態が社会問題化するたびに、多くの人の口から「まるで『女工哀史』のようだ」という言葉が発せられます。
ある歌人は、
『女工哀史』むずかしけれどひもとけば
涙ぼろぼろこぼれてやまず
と、その感動を詠みました。
◇ むしろ大いに「怒り」ましょう
多くの人の命が軽んじられ傷つけられ、迫害されようとしている時には、「怒り」を私的なものにとどめず、大きな「不動明王の怒り」をもってそれに立ち向かうことこそ仏教徒の努めではないでしょうか。そうしなければ「十善戒」をはじめとする仏法の理念そのものが実現できないからです。
不動明王は弱虫の少年「ゲン」に勇気を与えました。弱肉強食の競争原理・市場原理が世を覆い、弱い立場の人たちが、ひどく生きづらい世の中になっている時、「怒ってはいけません」というよりもむしろ、不当なこと、理不尽なことには「不動明王の怒り」をもって大いに「怒り」立ち向かおう、とこそ言うべきではないでしょうか。
「派遣切り」「後期高齢者医療制度」「戦争できる国づくり」「田舎切り捨て」…不動明王もきっと怒っています。

西方(奥)雪景色